ラーディックスの底

本と映画の感想、創作小説、ときどき絵

お墓参りに行って寂しくなった話

 またまた投稿ができていなかったのですが、最近思ったことをひとつ書こうと思います。

 

 お盆に祖母のお墓参りへ行ってきたのですが、ひと月が経った今も、ふとした時にその時のことを考えてしまいます。

 昨年空へと旅立った祖母。お葬式の後、そのお骨は納骨堂へ納められました。納骨堂は景色の良いところにある綺麗な建物で、中に入るとコインロッカーのような棚がずらりと並んでおり、それが骨壺を納める場所でした。その一つに祖母の骨壺を納めました。ぱたんとドアが閉まり、皆で祈って帰りました。

 帰りの車の中でも、その後何度かお参りに行った時も、悲しい寂しいと感じていました。けれど、お盆に行った時に感じたのは別の寂しさでした。

 お盆、蝉が煩いくらい鳴いている中、車を走らせ納骨堂へ向かいました。天気は快晴。駐車場に車を停め、祖母のお墓の場所へ。お骨の入ったロッカーの前に立ち、最近のことを伝えたりお祈りをして顔を上げる。そこではっとしました。

 やることがなくなってしまった、と。

 母方の祖父母のお墓は先祖代々の墓で、お墓参りに行くと、お供えの花を供え直したり、墓石を磨いたり、周りに生えた雑草を抜いたりと色々とします。

 死んでしまった祖父母に出来ることはありません。ですが、お墓を綺麗にするというのは、もう干渉しえない家族、親戚に何かしてあげられる行為だと、その時に気付きました。

 こちらの自己満足だとわかっていますが、何もしてあげられないというのは、なんだかひどく寂しく、いつもお墓参り後に感じる寂しさとは違ったものを胸に帰りました。

 葬式は生きているもの、残されたものの為と聞いたことがありましたが、お墓に対してもそのように思うとは思ってもいませんでした。

 どちらが良い悪いと言う話ではなく、祖母が安らかに眠れていたら、こちらの気持ちなど、どうでも良いことなのですが、なんとなく言葉にしないと消化が出来そうになかったので此処に。